2022年9月10日土曜日。この日は、日南線と指宿枕崎線に乗車することにしていた。
本日の行程は以下の通りである。まず、宮崎を9時10分に出る日南線に乗り、油津で列車を乗り継ぎ志布志まで行く。志布志到着は11時57分である。志布志では50分ほどの接続時間で、鹿児島交通の垂水方面のバスに乗り継いで垂水港まで向かう。垂水港では8分の乗り継ぎで14時40分発の鴨池港行きフェリーに乗り換え、錦江湾を渡り、鹿児島市の鴨池港まで出る。鴨池港では15分の乗り継ぎで鹿児島中央駅方面へのバスに接続し、鹿児島中央駅には15時52分に到着する。そうすると、鹿児島中央駅を16時02分に出る指宿枕崎線の枕崎行きに乗車できる。枕崎を往復して、鹿児島中央駅に21時10分に戻り、鹿児島で一泊する。
2022/9/10:JR日南線:普通:宮崎→油津
JR日南線は、宮崎県の宮崎と鹿児島県の志布志を結ぶ88.9kmの路線である。もともと、日豊本線の西都城から志布志を経て北郷までを結ぶ志布志線という路線があったが、1963年に南宮崎~北郷間が日南線として開業、北郷~志布志間も編入し、南宮崎~志布志間が日南線となった。
ホテルを9時前に出て、宮崎駅に向かう。青春18きっぷの5回目に印を入れてもらい、9時10分発の日南線普通油津行きに乗車した。
車両は、キハ47形2両編成である。
車内はセミクロスシートである。
列車はワンマン運転で、運転台後ろにはモニターと運賃箱が設置されている。
1979年(昭和54年)新潟鉄工所製造である。
南宮崎までの1駅間は日豊本線を走り、南宮崎から日南線へ入る。田吉までは宮崎空港行きの列車もあるため電化されているが、田吉を出ると非電化区間となる。宮崎空港を左に見つつ、列車は南下する。
正直、列車の窓が汚い。これは乗っていて分かったが、線路のすぐ横に木が生えている山間の区間では、窓ガラスに頻繁に枝が辺り、ぱちぱちと音を立てる。これでは窓も傷つくし、汚れるであろう。
9時40分に到着した青島駅では、宮崎行きの列車と行き違いをした。
内海駅のあたりからは太平洋が左側に見える。
その次の小内海駅は、その他の駅と比べてホームが新しく、新駅のようであった。2021年9月の台風14号で土砂流入があり、その後にホームを再建したという。
小内海を出ると、内陸部に入る。
内之田付近。山間の開けた箇所には田園風景が広がっていた。
酒谷川を渡る。
終点の油津には10時31分に到着した。
油津駅駅名標。
油津駅で乗り継ぐ10時46分発の志布志行きは、まだ入線していない。一旦駅の外に出てみた。
駅舎側から見た乗車列車。
油津駅前。
油津はプロ野球「広島東洋カープ」の春季キャンプ地であり、油津駅もカープ仕様となっている。
駅舎内。
2022/9/10:JR日南線:普通:油津→志布志
10時46分発の志布志行きは、10時40分に到着した。キハ40形1両編成である。
車内はセミクロスシートである。
運転台付近。
トイレ。
この日は暑く、車内では扇風機が回っていた。
車両は1980年(昭和55年)新潟鉄工所製造であった。
列車は、油津を10時46分に出発した。油津を出るとしばらくの間は太平洋に沿って走る。
南郷から先は内陸部に入る。日向大塚、日向北方と、旧国名である「日向」を冠する駅が2駅続くと、串間に着く。
串間駅を出ると、福島今町、福島高松と、「福島」を冠する駅が2駅続く。このあたり、1954年に串間市が発足するまでは福島町という町だったらしい。写真は福島高松駅である。
福島高松を過ぎると、列車は宮崎県から鹿児島県に入る。このあたりから、再び進行方向左側に太平洋が見える。
まもなく志布志に到着である。
終点の志布志には11時57分に到着した。
かつて、志布志からは、西都城に至る志布志線、鹿屋、垂水を経て国分に至る大隅線が延びていたが、いずれも1987年に廃止となった。
駅舎内には観光案内所と待合室、トイレがある。
志布志からの日南線の列車は1日8本である。9時30分の次は13時20分、その次は16時30分と、昼間の時間帯は特に本数が少ない。
志布志駅。
駅付近は綺麗に整備されている。
「志布志線古江線 大水害復旧記念碑」という石碑があった。古江線とは、後の大隅線のことである。1938年にこのあたりで大水害があり、志布志線、古江線に被害をもたらしたらしい。
さて、ここから乗り継ぐ垂水方面へのバスは、日南線の列車が志布志駅に到着する1分前の11時56分に行ったばかりなので、12時44分まで待たなければならない。鉄道との乗り継ぎを考えていないのかと思うが、バスのダイヤは、むしろ垂水側でのフェリーとの接続を優先して設定されているようである。
50分ほど時間があるので、少し志布志駅のあたりを歩いてみることにした。
信号を渡ってすぐのところに、サンポートしぶしアピアというショッピングモールがある。そこそこ大きなモールであるが、食堂は入っていないようであった。
さらに少し進むと、志布志鉄道記念公園がある。
C58形蒸気機関車が綺麗に保存されていた。説明書きによると、この機関車は、1939年(昭和14年)に汽車製作株式会社で製造された後、1972年に志布志機関区に配置、気動車との置き換えにより1975年に廃車となった。
C58形機関車の反対側には、キハ52形気動車が保存されていた。
スナック街。この時間帯は静かであった。
【2022/9九州】(目次)
10,宮崎:東横INN宮崎駅前:シングル:2022/9/9【2022/9九州】
11,JR日南線:キハ40形・キハ47形:2022/9/10【2022/9九州】【←本記事】
12,志布志駅から鹿児島中央駅へ:鹿児島交通:鴨池・垂水フェリー「フェリー第八おおすみ」:2022/9/10【2022/9九州】
【キハ40系乗車記録】
(北海道)
9,五稜郭から七飯へ:JR函館本線:キハ40形:2021/3/20【2021/3北海道】
8,道南いさりび鉄道:キハ40形:2021/3/20【2021/3北海道】
(東日本)
3,JR大湊線:快速しもきた:キハ40系:2006/7/29【2006/7北海道】
(西日本)
13,JR氷見線・城端線:キハ47形:2022/10/22【2022/10北陸】
13,長門市から下関へ:JR山陰本線:キハ40形・キハ47形:2021/12/25【2021/12西日本】
11,益田から長門市へ:JR山陰本線:キハ40形:2021/12/25【2021/12西日本】
(九州)
8,JR三角線:キハ147形:2022/9/9【2022/9九州】
7,JR筑豊本線(1):2008/7/8【2008/7九州】