JR釜石線は、岩手県の花巻と釜石を結ぶ90.2kmの路線である。1913年、岩手軽便鉄道により花巻から土沢までが開業し、1915年に仙人峠まで開通した。岩手軽便鉄道は1936年に買収・国有化され、線路幅が762mmから1067mmの狭軌に改軌が進められた。また、仙人峠を越えるトンネルやループ線を作り、1950年に花巻~釜石の全線が開通した。
宮沢賢治の小説「銀河鉄道の夜」の沿線風景は、釜石線の前身の岩手軽便鉄道のそれがモデルであると言われており、釜石線の愛称「銀河ドリームライン」はこのことに由来する。釜石線の各駅にはエスペラント語の愛称があるが、これも、宮沢賢治がエスペラント語を作品中にしばしば登場させていたことに由来するという。
2022/5/4:JR東北本線・釜石線:快速はまゆり5号:盛岡→釜石
2022年5月4日水曜日。盛岡まで来たついでに、釜石線にも乗車することにした。およそ20年ぶりである。
今回は、盛岡を17時18分に出る釜石線の快速はまゆり5号で盛岡から釜石まで乗り通すことにした。
快速「はまゆり」は、1日3往復の運行で、すべての列車が花巻で東北本線に乗り入れて盛岡まで来る。かつて同区間で運行していた急行陸中が、2002年12月のダイヤ改正で快速に格下げされて、現在に至る。盛岡から釜石までの所要時間は2時間20分程度である。
快速列車でありながら指定席が設定されており、今回は、事前に指定席を確保していた。指定席券は530円であった。
盛岡から釜石までの乗車券は2,310円である。
車両はキハ110系が使われている。4号車側。キハ110-3。
1号車側。キハ110-122。
側面の行先表示器はLEDである。
快速はまゆりは、通常は3両編成で運行されるらしいが、このときはゴールデンウィーク期間だからか4両編成での運行で、1号車と2号車が自由席、3号車と4号車が指定席であった。1号車はセミクロスシートの車両で、2号車以降が回転リクライニングシートである。そのため、当然の結果ではあるが、一番混んでいたのは、自由席でリクライニングシート車の2号車であった。指定席の3号車と4号車は、全線を通して、あわせて10人程度であっただろうか。
ドアはプラグドアである。
4号車の車内。回転リクライニングシートが並んでいる。
座席。
座席背面。
背面テーブル。
客室とドアの間には仕切りはあるが、ドアはない。
車内には指定席の表示が出されている。
トイレは洋式である。
4号車に使われていた「キハ110-3」は、新潟鐵工で平成2年(1990年)に製造された車両である。釜石線の急行列車用車両として、キハ110系の中でも初期に作られ、既に登場から32年が経過している。
3号車は座席が色違いであった。
片運転台の車両で、運転台と反対側の車端部にはボックスシートがあった。
快速はまゆり5号釜石行きは、定刻17時18分に盛岡を出発した。
盛岡出発の時点では、座席が進行方向に対して後ろ向きで並んでいる。これは花巻で進行方向を変えるためで、花巻以降は前向きとなる。
盛岡を出ると、次は矢巾に停車する。かつて矢巾は通過駅であったが、2009年から停車するようになった。駅の最寄りには岩手医科大学附属病院がある。
盛岡駅で買っていた「もりおか短角牛ハンバーグ弁当」を開ける。美味しくいただいた。
左側から釜石線の線路が現れると、花巻である。
花巻駅には17時45分に到着した。駅舎寄りの1番線に到着し、6分停車する。
列車は17時51分に花巻を出発し、釜石線に入る。花巻では進行方向が変わり、ここで座席の向きが前向きとなる。
花巻を出発すると、しばらくは住宅を見ながら進む。
釜石線で花巻の次の駅は似内である。快速はまゆり号の停車駅ではないが、花巻行きの列車との行き違いのため停車する。花巻行きが4分遅れであったため、こちらも4分遅れで似内を出発した。
釜石線の駅名標は、各駅のエスペラント愛称名をイメージしたデザインのものとなっている。似内駅の愛称は、海岸を意味する「La Marbordo(ラ・マールボルド)」である。
車窓から。
18時07分に新花巻に到着した。東北新幹線との接続駅である。
車窓から。
土沢には18時14分に到着した。土沢駅は、釜石線の前身である岩手軽便鉄道の、開業当初の終着駅である。土沢駅のエスペラント愛称は「Brila Rivero(ブリーラ・リヴェーロ)」、日本語では「光る川」である。
1番線側に駅舎があるが、2番線にも待合室がある。
このあたりでは、釜石線と同じく花巻と釜石を結ぶ国道283号線に沿って進む。
宮守駅には18時26分に到着した。ホームには腕木式信号機のモニュメントがある。宮守駅のエスペラント愛称は「Galaksia Kajo(ガラクシーア・カーヨ)」、日本語で「銀河のプラットフォーム」である。
宮守を出ると、宮守川橋梁「めがね橋」を渡る。「めがね橋」を渡る釜石線、あるいは「めがね橋」自体も写真撮影のポイントとしては著名であるが、渡っている側からはよく分からない。
鱒沢に停車した後、遠野には18時50分に到着した。もう外は真っ暗である。遠野では盛岡行きの普通列車と行き違いをする。
遠野を出ると、仙人峠越えの区間に入る。快速はまゆりも8駅を連続で通過し、松倉まで37分間無停車で走る。特に足ヶ瀬から上有住を経て陸中大橋まではトンネルが連続する。上有住を出てしばらくすると列車は左に大きく曲がり、北に進路を向ける。右へ左へと曲がりつつ北上する。外は真っ暗で灯りも少ない。第二大橋トンネルで大きく右へカーブして、今度は南へ進路を向ける。このあたりは、いわゆるオメガループ(Ωループ)となっている。トンネルの中ではあるが、隣の車両との連結部を見ていると、列車がひたすら曲線区間を進んでいることが分かる。
第二大橋トンネルを抜けてすぐ、19時19分に陸中大橋を通過する。昼間であれば、進行方向右上側に、先ほど渡った鬼ヶ沢橋梁が見えるはずである。
さらに10分ほど走り、19時29分に松倉に到着した。釜石まであと少しであり、このあたりまで来ると、沿線にはアパートの灯りも見える。
19時33分に小佐野に停車し、終点の釜石には19時39分に到着した。
釜石駅の駅名標。
階段を降りて改札口へ向かう。
釜石駅のエスペラント愛称は「La Oceano(ラ・オツェアーノ)」、日本語では「大洋」である。釜石は太平洋に面した街である。
「よくおでんした釜石」のイラストに迎えられ、改札口へ向かう。
改札口。
改札口の脇には待合室がある。
改札口の上には、「SL銀河」の垂れ幕があった。SL銀河は、釜石線で2014年から土・日曜日に定期的に運行している蒸気機関車牽引の観光列車である。客車の老朽化に伴い、2023年春をもって運行終了することが既に報じられている。
釜石駅。横には、JR東日本系のホテルフォルクローロ三陸釜石がある。
釜石駅は三陸鉄道リアス線との接続駅である。三陸鉄道も独自の駅舎を有している。
【→三陸鉄道の乗車記録はこちら】
【急行陸中の頃の急行券】
盛岡から花巻まで(2002年8月16日)
盛岡から土沢まで(2002年9月21日)
【指定席の設定がある定期快速列車の乗車記録】
6,郡山から会津若松へ:JR磐越西線:快速あいづ5号:指定席:2020/10/9【2020/10東北】
13.桑名から名古屋へ:JR関西本線:快速みえ18号:2019/10/27【2019/10東海】
【キハ110系の乗車記録】
22,JR飯山線:快速「おいこっと」:2022/4/2【2022/3東日本・東海】
17,JR小海線:快速「HIGH RAIL 星空」:2022/3/26【2022/3東日本・東海】
2,JR磐越東線:快速あぶくま:2009/8/15【2009/8福島・茨城】
19,新津から仙台へ:JR磐越西線ほか:2008/7/10【2008/7九州】
6,小諸から小淵沢へ:JR小海線:2007/5/14【2007/5甲信越】
4,小牛田から酒田へ:JR陸羽東線・陸羽西線:2005/10/8【2005/10東北】