【前から続く】
ウスリースクには21時15分に到着した。
22時10分、隣のホームに列車が到着する。行き先表示はキリル文字であるが、「ウラジオストク モスクワ」と読める。ロシア号だろうか。ちょうど隣に2等寝台車が停車しているが、多分室内はこちらと同じだろう。22時17分に出発していく。10両以上の編成であったが、こちらとは対照的に客はそこそこ乗っている。
22時40分、連結のショックがある。そして、前に動き出す。しばらく動くと止まる。22時52分、再度動き出す。運転が粗く、ガクンガクンという感じである。止まるときもほとんど急停車であった。実際に運行するときの運転は上手いと思うのだが、一方で駅構内での車両の扱いは杜撰である。客が乗っていないと思っているのかもしれない。その後も、行ったり来たりを繰り返す。
車掌が、他のコンパートメントにシーツや枕カバーの入った袋を置いている。ウスリースクからはこの車両にも国内だけの客を乗せるらしい。
23時半、最後のショックの後、客扱いを始める。ウラジオストク始発のオケアン号と連結をしたようである。この車両にも客が続々と乗り込んでくる。私のコンパートメントにも1人来た。今まで独り占めしていたわけだから少し残念な気になるが、それでも十分贅沢な状態である。そもそもこのコンパートメントは4人用である。
車掌に連れられて入ってきた客は、緑色の厳めしい制服を着ていた。握手しつつ自己紹介をする。と言っても、私はロシア語ができず、あちらはロシア語しかできないので、指さし会話帳を使っての、片言でのやりとりである。「警察官ですか?」と聞いてみると、そうだとのことであった。年齢は聞かなかったが、ひょっとしたら私よりも若いかもしれない。ただ身長は遙かに高い。警官というと強顔を想像してしまうが、この人は、どちらかというと気の弱そうな感じであった。コンパートメントでは制服を脱ぎ、Tシャツとハーフパンツという格好になる。その後、私の指さし会話帳をぱらぱらとめくり、「寒い」の文字を私に見せる。「このコンパートメント、寒くないか」と聞いたのだろう。「あなたの格好が寒い」と言いたかったが、それだけのロシア語能力がないのが残念であった。それにしても、制服を脱いだら、どこにでもいそうな若者である。
ちなみに、外は極寒でも、車内はかなり暖かい。私は、車内では上は長袖のポロシャツ、下は長ズボンというラフな格好で過ごしていた。車内では靴と靴下は履かず、持ってきた使い捨てのスリッパを履いていた。その程度で十分に快適に過ごすことができた。
ウスリースクで、列車番号がNo.660からNo.5に変わる。この列車番号は、ここで連結したウラジオストク発ハバロフスク行きオケアン(Okean)号の番号である。オケアンとは「大洋」の意味らしい。
進行方向が変わって出発となる。
列車はなかなか高速で走る。今までがのんびりすぎたのであろう。特急列車らしい走りである。
向かいの警察官が、車掌に何かを言う。車掌はチャイとクッキーを持って来る。車掌は私に紅茶を飲むかと聞いてきたが、寝る前なので遠慮する。そのかわりなのか、あるいは暇そうに見えたのか、雑誌を持ってきてくれた。ロシア語だから何が書いてあるか分からないが、最後のページの方に鉄道の写真と記事があった。ロシア鉄道の車内誌のようである。写真をたくさん撮っていたので、鉄道好きと思われて気を利かせてくれたのかも知れない。ハバロフスクに到着するまで回収に来なかったので、降りる際に鞄にしまった。
警察官がベッドメーキングをする。掛け布団を探しているのか、ベッド下を色々と探している。あまり乗り慣れていないのだろうか。私が上の棚から掛け布団を出して渡す。
2012年4月2日月曜日。
0時過ぎ、横になる。警察官もまもなく電気を消して横になった。
夜中、時折目が覚めた。列車はかなりの速度で走っているように思われた。途中4つほど駅に停車しているはずだが、それは眠りの中であった。
8時頃、目が覚める。ようやく空も明るくなってきた頃である。よく眠ることができた。ベッドから起き上がり、伸びをしていると、同室の警察官も目を覚ます。
警察官と向かい合って座る。指さし会話帳を使いつつ、色々と尋ねる。氏はモスクワに住んでいるが、仕事でこちらに来ているとのことであった。若い人間を地方に派遣しているのだろうか。
布団を上の棚に上げて、シーツと枕カバーをたたみ、枕をベッド下の物置にしまう。車掌が、シーツと枕カバー、手ぬぐいを回収する。警察官は緑色の厳めしい制服を着る。
ハバロフスク到着時刻の8時半になっても走り続ける。
時折、近郊列車のホームが見える。
戦車を乗せた貨車も時々見える。
車窓から。
9時頃、車掌が来て切符を返してくれる。この車掌は、昨日の午後から姿を見せなかった方の車掌である。ただ、終点到着前だからか、だぶだぶズボンではなく、きちんとした服装であった。
ハバロフスク到着手前で、車両基地が見える。機関車や近郊列車(エレクトリーチカ)の車両が見える。
9時30分、ハバロフスクに到着した。駅舎寄りのホームに到着する。警察官は早々に出口に向かう。お世話になった隣室のおばさんにお礼を言う。車掌はと見渡したが、既に駅舎の方へ行っていた。出迎えはするが、見送りはしないようである。忘れ物がないかを確認した後、最後に列車を降りる。
前に14両ほど、ウラジオストクからのオケアン号が連なっていた。
ハルビンからの車両は最後尾に繋がれていた。
乗ってしまえばあっという間の33時間であった。もう少し乗っていたい気分であった。また乗りたいと思う。
ハバロフスク駅。
ハバロフスク駅前のハバロフ像。
【2012/3中国・ロシア】(目次)
22,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(1)ハルビン駅:2012/3/31【2012/3中国・ロシア】
23,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(2)ハルビン~綏芬河:2012/3/31【2012/3中国・ロシア】
24,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(3)綏芬河~グロデコボ:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】
25,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(4)グロデコボ駅:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】
26,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(5)グロデコボ~ウスリースク:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】
27,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(6)ウスリースク~ハバロフスク:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】【←本記事】
28,ハバロフスク:ホテルインツーリスト(Hotel Intourist):2012/4/2【2012/3中国・ロシア】