【前から続く】
グロデコボ(Grodekovo)駅の待合室で、時間が過ぎるのを待つ。
18時30分、入国審査の際に先導してくれた係官が来て、列車に案内される。一回駅舎を出て、通用門のようなところからホームに入る。列車は、着いたときと別のホームに停車している。
中国とロシアでは線路の幅が異なる。中国は1435mmの標準軌、ロシアは1524mmの広軌である。列車はこの駅で台車交換をしていたのである。
ディーゼル機関車を先頭に、次にハバロフスク行き、最後尾にウラジオストク行きが連結されている。機関車と客車2両による運行である。だいぶ短くなった。
ハルビンでは気がつかなかったが、絵入りのサボがあった。
乗車した車両(MECT-36)。
おばさんの重い荷物を2人がかりで車内に押し上げてから、私も列車に乗る。まもなく車掌も来る。美人車掌だけで、だぶだぶズボンの車掌はいない。
出発まで、少し車内の写真を撮って過ごす。ドア横の倉庫にはバケツがあり、石炭が入っている。暖房は未だに石炭を使っているらしい。電気だと真冬の停電の時に凍え死ぬ危険があるからだと聞いたことがあるが、確かにそうだろうと思う。石炭の写真を撮っていたら、美人車掌に見つかり、笑われてしまった。
その車掌が、「チャイ?コーヒー?」と聞きに来る。チャイをもらう。ティーバッグの紅茶であるが、今回はリプトンではない。聞いたことのないメーカーであった。
砂糖。ロシア鉄道オリジナルのパッケージだろうか。
19時10分、グロデコボを出発する。予定出発時刻は19時08分なので、ほぼ定刻である。列車番号はNo.402からNo.660に変わる。
進行方向左手には工場や住宅が見えるが、右手は人工物が何もなく荒涼としている。出発して10分ほどすると、左手も人工物がなくなり、荒涼とした風景になる。並行して道路もあるが、通行量はほとんどない。
19時43分、"Przhevalskaya"着。車窓からは1回ほど街が見えたが、それ以外は街らしきものは見えぬ。「何もないところ」を延々と走る。
支線があるようである。
20時06分、左側に街が見える。20時07分、踏切を渡る。今まで踏切はなかったような気がする。
20時10分、停車する。時間からして、たぶん"Lipovtsy"駅であろう。大柄な男性が通路を通っていく。いつ乗ったのかと思うが、機関車の方に行ったので、運転手かその類の人だろうと思う。20時13分に発車する。
20時30分、"Golenki"駅に停車する。20時32分に出発する。そろそろ暗くなってきた。
お腹が空いてきた。車端部の給湯器でお湯を頂き、カップ麺を食べる。
車窓から。
20時48分、"Vozdvzhenskii"駅に停車する。20時50分に出発する。
21時過ぎに、街の明かりが見える。綏芬河を出て以来、初めての街らしい街である。通路で景色を見ていると、美人車掌が来て、ウスリースク(Ussuriisk)と言う。ウスリースクは、ウラジオストクの100kmほど北に位置する。中国からの鉄道とシベリア鉄道が合流する交通の拠点である。
21時15分、ウスリースクに到着する。ここでウラジオストク行きを切り離し、ウラジオストク発ハバロフスク行きのオケアン号と連結するため、2時間ほど停車する。
車内でぼんやりとしていると、突然隣から壁の叩く音が聞こえる。なんだと思っていると、おばさんの声も聞こえる。とりあえず隣のコンパートメントを見ると、ドアが閉まっている。開けてみようとしてノブに手をかけるが、ドアが開かない。要はおばさんがコンパートメントに閉じこめられたわけであった。力任せに引っ張るとやっと開いた。立て付けが悪いのか、あるいは相当老朽化しているのか、そんなところであろう。
【2012/3中国・ロシア】(目次)
22,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(1)ハルビン駅:2012/3/31【2012/3中国・ロシア】
23,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(2)ハルビン~綏芬河:2012/3/31【2012/3中国・ロシア】
24,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(3)綏芬河~グロデコボ:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】
25,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(4)グロデコボ駅:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】
26,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(5)グロデコボ~ウスリースク:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】【←本記事】
27,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(6)ウスリースク~ハバロフスク:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】