2013年3月23日土曜日。この日は、陸路と海路でスラバヤからバリ島へ移動する。
7時起床。朝飯を食べ、8時20分にホテルを出る。
ホテルの前でたむろしているブルーバードタクシーに乗り、グブン駅(Stasiun Gubeng)へ向かう。バニュワンギ行きに乗ると言うと、優等列車用の駅舎へ連れて行ってくれる。ブルーバードは、時に例外はあるようだが、例え短距離であっても、メーター以上の料金を請求することはない。
駅の中までタクシーで入ると入場料を取られるので、駅の外でタクシーを降り、駅に向かう。
2013/3/23:Mutiara Timur:85:Surabaya Gubeng → Denpasar
乗車する列車は、9時発のバニュワンギ行きムティアラ・ティムール(Mutiara Timur)号である。この列車は1日2往復、昼便と夜行便がある。編成は、1等車である"Eksekutif"と2等車である"Bisinis"から構成されている。この日の"Eksectif"と"Bisnis"の料金の差はRp30,000であったため、"Eksekutif"を予約していた。値段はRp200,000也。
乗車券はバニュワンギまでではなくデンパサールまでであり、鉄道運賃の他にバスの分も含まれている。
乗車券とパスポートを見せて、構内に入る。列車が到着するまでホームに入ることはできない。列車を待つ客は多く、ベンチにあぶれた客は床に座っている。コンコースにあるステージでは女性のミュージシャンが弾き語りをしている。このようなステージはバンドンでもあったし、先日のスラバヤ・コタ駅でも見た。国鉄側が頼んでいるのか、あるいはミュージシャンの側が頼んでいるのかは分からないが、なかなかうまく、聞き入っている人も多い。
マディウンからの"Ekonomi"のディーゼルカーが到着する。
さて、定刻9時になっても、ホームの柵は開けられず、列車も来ない。始発駅であるのに、遅れが生じている。5分ほどしてようやく柵が開けられる。
構内の放送でも、デンパサールという地名が聞こえる。
車内に入る。数年前にバンドンからスラバヤまで乗ったアルゴ・ウィリス(Argo Wilis)号と内装はほとんど同じであり、各座席に枕が添えられているところも同じである。乗客は多くなく、私の隣には客が来なかった。だいたい半分強の乗車率だろうか。
トイレ。
ドアの中には窓ガラスにヒビが入っているものもあった。投石だろう。
9時10分にスラバヤ・グブン駅を出発する。
バンギル(Bangir)までは一昨日及び昨日通った区間であり、そこからバニュワンギへの支線に入る
早速、厨房の係りが、おぼんに食事を載せて車内を巡回する。早速"Bakso"を注文する。料金は後払いで、領収書が渡される。Rp17,000也。
バニュワンギまでの主要都市としては、プロボリンゴ(Probolinggo)、及びジュンブル(Jember)があげられるが、その他の区間は、ほとんど森の中を走っていた。ビルが見えたのはジュンブルの付近だけだったように思う。もっとも、そのジュンブルもビルの数はわずかで、田舎町といった感じである。
昼飯時にナシゴレンを注文した。Rp22,000也。
領収書。
13時05分、Rambipujuに到着する。
ジュンブルに近づくと、ビルが見えた。
前方のテレビでは短編の番組が流されている。
また駅停車前には、テレビで到着案内が流される。車掌が停車前に手動で設定しているようであった。
13時20分、ジュンブルに到着する。ここで多くの客が降り、車内は一段と空く。
車窓から。
15時53分、Rogojampiに到着する。
16時06分、Karangasemに到着する。
車窓風景に変化が乏しく、後半は退屈した。
終点のバニュワンギには、16時20分に到着した。定刻が15時36分であるから、およそ45分の遅れである。到着してまもなく、車内の電気が消える。すぐに電源車が切り離されたのだろう。
【2013/3インドネシア】(目次)
21,スラバヤ3日目の夜:2013/3/22【2013/3インドネシア】
22,スラバヤからデンパサールへ(1):ムティアラ・ティムール(Mutiara Timur)85列車:2013/3/23【2013/3インドネシア】【←本記事】
23,スラバヤからデンパサールへ(2):バリ海峡フェリー・バス:2013/3/23【2013/3インドネシア】
【ジャワ島のその他の中長距離列車の乗車記録】
36,バンドンからスラバヤへ:アルゴ・ウィリス(Argo Wilis)6列車(1):2011/9/20【2011/9インドネシア】
30,ジャカルタからバンドンへ:アルゴ・パラヒャンガン(Argo Parahyangan):2011/9/18【2011/9インドネシア】