【前から続く】
2012/3/31-4/2:K7023次・N0.402・No.660・No.5:ハルビン → ハバロフスク
出発15分前、21時10分過ぎに、快速K7023次綏芬河(スイフンガ)行きの改札が始まった。
最初から2番目に並んでいたので、すぐに改札を抜ける。中国国内の切符を持っている人は、ここで切符に鋏を入れられるが、駅員は私の切符を見ると、そのまま行けと言う。
3番線に行く。一方には満州里行きが、そしてもう一方には今から乗車するK7023次が停車している。
ハバロフスク行きは後ろの方に連結されているはずだが、どちらが後ろか分からない。駅員に聞き、指された方に進む。しばらく歩くと、電気機関車がある。おかしい。先ほどの駅員が飛んでくる。「切符見せて」と言われ、見せると、「ごめん、逆」とのことであった。結局列車全体を見渡すことになったが、綏芬河止まりの中国車両は、綏芬河方から硬座3両、うち2両は2階建て車両、その次に3段式寝台の硬臥が4両、そして個室寝台の軟臥が2両、最後に荷物車であった。
そしてその後ろに2両、中国の車両とは違う車両が連結されている。これがロシアの車両であった。
20号車がハバロフスク行きである。2両のうち前寄りであった。とすると、最後尾はウラジオストク行きだろう。
中国の車両には制服を着た車掌が立っているが、このロシア行きの車両でも車掌が立っている。車掌はロシア人で、金髪美人である。だいたい30歳くらいだろうか。厚手のオーバーを着ている。厳めしい制服で身を固めた中国車掌と比べると、暖かみがある感じである。
車掌に切符を渡す。早速ロシア語で何か言われるが、もちろん分からぬ。手で「4」と示される。4番の寝台か、4番の個室かということだと理解する。
乗車する。デッキの内開きの戸を開けて車内に入る。
2等寝台は4人用コンパートメントである。基本的な構造は中国の軟臥と共通なのだろうが、通路にはカーペットが敷かれ、また照明や色遣いから、豪華さを感じさせる。
4番の寝台のある個室には業務用と思われるものが散乱している。とすると4番の個室だろう。
客室にも絨毯が敷かれている。座席にはカバーが掛けられている。またテーブルにはテーブルクロスが掛けられている。寝台の上段は跳ね上げられた状態であった。そもそも客が少ない。隣の部屋に1人いるだけである。綏芬河行き快速と大違いである。
客室から見たコンパートメントのドア。ドア上には毛布が入っている。
ドアを閉めたところ。ドアには鏡が付いている。翌朝撮影。
室内灯のパネル。
まもなく、車掌がシーツカバーと枕カバーを持ってくる。これは無料であった。隣室の客が自分でベッドメーキングをしていることから察するに、ベッドメーキングはセルフサービスらしい。枕が見あたらない。椅子を跳ね上げると、物置があり、枕が見つかった。ちなみに、ベッドの下の物置には、枕と、上段を寝台にする際に使うベッドマットが収納されていた。スーツケースの収納場所はと探すと、寝台下の物置でない部分に置くことができる。スペースはそこそこ広く、飛行機の機内に持ち込むことができる程度のスーツケースであれば十分に入る。もう一回り大きくても問題ないと思う。
シーツ・枕カバー・手ぬぐい一式。
ベッドメーキング後(翌日撮影)。
21時27分、定刻に出発する。結局、この車両の客は2名だけのようである。
列車は、浜綏線を綏芬河に向けて進む。この路線が開業したのは1901年のことである。
1894年の日清戦争の後、日本は下関条約によって遼東半島を手に入れたが、フランス、ロシア、ドイツによるいわゆる三国干渉があり、遼東半島の領有を阻止された。ロシアは、その見返りとして、清から、中国国内の鉄道の敷設権を獲得し、チタとウラジオストクを結ぶ短絡線を建設した。地図を見れば分かるが、チタからウラジオストクへロシア国内を進むとなると、だいぶ迂回をすることになる。この区間は中国国内を突っ切るのが早い。現在の浜綏線は、そのような経緯で誕生した東清鉄道の一部である。
22時02分、阿城に停車する。4分ほどで出発する。ここでは客は乗ってこなかった。
トイレに行く。意外と言っては失礼だが、きれいだった。ロシアのトイレというと便座に腰を置くのがためらわれるような物が多いと聞くが、この列車に限って言えばそれも大丈夫そうであった。ちなみに、垂れ流し式なので、水のペダルを踏むと、線路が見える。
(翌朝撮影)
しばらく起きていたが、隣室の客が既にコンパートメントのドアを閉めていたので、こちらもドアを閉める。電気を消して22時半頃に寝る。ちなみに、各ベッドには枕灯があり、これをつけるとかなり明るくなる。ベッドを仕切るカーテンはないので、他に客がいればこれを点けるのは躊躇われるだろう。
2012年4月1日日曜日。
2時半頃、一度目が覚める。列車は停車している。牡丹江であろう。定刻である。再び目を閉じる。
5時近くに再び目が覚める。どこかに停車している。駅名は分からなかったが、定刻通りに走っていれば伊林であろう。外はもう明るい。そして、雪が見える。
6時半頃にベッドから起きる。
6時42分、綏西に到着する。
コンパートメントのドアを開けて反対側の景色も眺めていると、ロシア人のおばさんが、「チャイ」と言って紅茶を持ってきてくれた。だぶだぶのズボンを履いた黒髪のおばさんで、最初は誰かと思ったのだが、この人も車掌であった。紅茶はリプトンのティーバックであった。砂糖の袋には、鉄道の柄が入っている。これは無料のサービスであった。昨晩駅で出迎えてくれた美人車掌も、車内では制服ではなく普段着で歩いていた。
車窓から。
7時00分、綏陽に到着する。中国人客がぞろぞろと降りていくのが見える。
朝食を食べたい。昨日ハルビンのマーケットで買ったカップ麺を持って車端部の給湯器に行き、お湯をもらう。
車掌がいたので、指さし会話帳を使いつつ、片言のロシア語で自分が日本人の旅行者であることを伝える。車掌は「オー、イポーニェッツ」と言い、もう1人の車掌にも伝える。彼女らは英語は通じずロシア語だけのようであった。
カップ麺の味は、日本と大して変わらない。美味しかった。カップ麺の中に折りたたみフォークが入っていたので、箸を出す必要がなかった。
車窓から。
どこかの駅で、「綏芬河-満州里」の普快とすれ違う。
車窓から。
綏芬河到着直前。車内からも街が見える。
綏芬河には7時33分に到着した。駅舎寄りのホームに入線した。
【2012/3中国・ロシア】(目次)
22,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(1)ハルビン駅:2012/3/31【2012/3中国・ロシア】
23,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(2)ハルビン~綏芬河:2012/3/31【2012/3中国・ロシア】【←本記事】
24,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(3)綏芬河~グロデコボ:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】
25,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(4)グロデコボ駅:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】
26,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(5)グロデコボ~ウスリースク:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】
27,ハルビンからハバロフスクへ:中露国際列車(6)ウスリースク~ハバロフスク:2012/4/1【2012/3中国・ロシア】