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小田原から強羅へ:小田急箱根:箱根登山電車:2025/7/16

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小田急箱根は、箱根で鉄道、ロープウェイ、遊覧船などの事業を展開する小田急グループの鉄道会社である。かつては箱根登山鉄道を名乗ったが、2024年6月に商号を変更して現在に至る。

小田急箱根の鉄道線は、箱根登山電車とも呼ばれ、小田原と強羅の15kmを結ぶ。箱根湯本までは、小田急線と同じ軌間1,067mm(狭軌)であり、新宿から特急ロマンスカーが乗り入れるほか、小田原から箱根湯本までの各駅停車の列車には小田急の通勤列車型車両が用いられる。ただ、その先は最大80パーミルの勾配区間、急曲線区間が続く。軌間幅も1,435mm(標準軌)となり、急勾配に対応した車両が運用に就く。

 

2025/7/16:小田急箱根:鉄道線:各駅停車:小田原→箱根湯本

2025年7月16日水曜日。この日の関東地方は雨模様で、一時はかなり強く降る日であった。このような日であるから、箱根の登山電車も空いているだろうと思い、出かけることにした。箱根登山電車には3年ほど前に乗車しているのだが、かなり混雑しており、そこまで車窓を落ち着いて楽しむことができなかった。

 

小田原から、15時37分発の各駅停車箱根湯本行きに乗車した。起点の小田原駅では、小田原~箱根湯本間の区間列車は11番線から出発する。かつては小田原まで三線軌条が続いており、軌間幅1,435mmの山岳区間用の車両も乗り入れていたが、2006年以降は三線軌条区間が縮小され、小田原~箱根湯本間は小田急の車両のみでの運行となっている。

 

車両は小田急1000形4両編成である。

 

箱根湯本までは一般的な通勤列車の車両での運行であるが、最急勾配は40パーミル、半径160mの急曲線と、一般的な鉄道路線と比較すると登山電車らしい条件となっている。

終点の箱根湯本までは4駅、6.1kmである。箱根板橋、風祭、入生田と停車して、終点の箱根湯本には15時51分に到着した。

 

2025/7/16:小田急箱根:鉄道線:各駅停車:箱根湯本→強羅

箱根湯本から強羅までが、本格的な登山電車の区間である。箱根湯本から強羅までは約9kmであるが、箱根湯本駅の標高は96m、強羅駅の標高は541mであるから、この間で445m上ることになる。線路幅も1,435mm(標準軌)で、急勾配に対応した専用の車両が運用に入る。

強羅行きは1時間に4本の運行である。すぐの15時53分発に乗り換えることもできたが、1本待って16時13分発に乗車することにした。

 

16時13分発の強羅行きは1000形3両編成であった。厳密には、両先頭車が1000形、中間車が2000形である。1000形はもともと2両編成で登場したが、冷房化のための電源確保のため、2004年に、大容量の電源装置を有する2000形を中間に組み込んだのだという。(強羅にて撮影)

車内はセミクロスシートである。一部にロングシートのみの車両もあるが、景色を見るのであればこちらの方が楽である。

ボックスシート。足元は広い。

車端部。急曲線が多いからか、車両間の移動は基本的にはできないようになっている。

ドア。

ドア上には液晶の案内表示器がある。

 

今回乗車した1000形1001編成は、1981年に川崎重工で製造され、2004年に冷房化とともに車内をリニューアルしている。

 

定刻16時13分に箱根湯本を出発した。さすがにこの時間帯から強羅方面へ行く客は多くなく、車内は空いており、各ボックスに1グループといった感じの乗車率であった。

標高96mの箱根湯本を出ると、早速80パーミルの急勾配区間に突入する。

 

最初の駅である塔ノ沢には16時17分に到着した。箱根湯本駅から57mほど上がり、標高153mである。

 

塔ノ沢を出ると、3か所連続でスイッチバックを行う。

16時22分、出山信号場に到着する。標高222mである。ここで1回目のスイッチバックをする。信号場のホームを使って、運転手と車掌が位置を交代する。

案内表示器では「信号場では乗り降りできません」の文字が表示される。

進行方向を変えてさらに標高を上げる。

16時29分、大平台に到着した。標高337mである。ここで2回目のスイッチバックを行い、運転手と車掌が場所を交代する。

再び進行方向を変えて、さらに標高を上げる。

16時32分、上大平台信号場に到着した。標高346mである。ここで3回目のスイッチバックを行い、運転手と車掌が入れ替わる。

ここで進行方向を変えたため、私が乗車していた車両は箱根湯本の時点では最後尾であったが、先頭車になった。

 

16時36分、仙人谷信号場に到着した。標高396mである。ここはスイッチバックの信号場ではなく、列車の行き違いもないが、いったん停車して、その後すぐに出発した。

 

16時39分、宮ノ下に到着した。標高436mである。(上の写真は復路に撮影)

 

下方の木の合間から、国道1号が見える。

 

16時44分、小涌谷に到着した。標高523m、地名は「こわくだに」であるが、駅名は「こわきだに」である。

 

沿線にはアジサイが並ぶ区間がある。

 

16時47分、彫刻の森に到着した。標高539m、箱根彫刻の森美術館の最寄り駅である。ここで、私の乗車していた車両からはほとんどの客が降りた。

駅前のローソンは景観に配慮してか茶色のデザインである。

 

終点の強羅には16時49分に到着した。標高541mである。

小田急箱根はスイスで山岳路線を運行するレーティッシュ鉄道と姉妹鉄道提携を結んでおり、強羅駅にはサンモリッツ駅の駅名標がある。

 

乗ってきた列車は、折り返し16時53分発の箱根湯本行きとしてすぐに折り返していく。

 

改札を出る。ここまではSuicaなどの交通系ICカードが使用可能である。新宿から強羅までの運賃は1,671円であった。

 

強羅駅では、早雲山行きのケーブルカーに乗り換えることができる。

 

2025/7/16:小田急箱根:鉄道線:各駅停車:強羅→箱根湯本

強羅からは、17時08分発の箱根湯本行きに乗車した。帰りは2000形3両編成であった。

往路よりは人数は多かったものの、全体的にみるとこの列車も空いており、ボックス席に座った。

2000形には「サン・モリッツ号」の愛称がある。

2000形は1989年から製造が開始されたが、今回乗車したのは1997年に川崎重工で製造された2000形の最終編成であった。

 

3両編成の最後尾に乗車したので、急曲線区間では前の車両が見える。

 

終点の箱根湯本には17時42分に到着した。

 

箱根湯本駅の外に出ると、100形3両編成が停車していた。写真の108形は1956年製造であるが、まだ現役であるという。

 

箱根湯本駅から強羅方を見ると、すぐに急勾配となっている。

 

ちょうど強羅発箱根湯本行きの列車が到着した。

 

【箱根登山電車の乗車記録】

11,早雲山から強羅を経て小田原へ:箱根登山鉄道:箱根登山ケーブルカー・登山電車:2022/3/25【2022/3東日本・東海】

 

2025年:総目次

 

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