飛行機 インドネシアの航空会社 記録 2013/10インドネシア

29,チラチャップからジャカルタ(ハリム)へ:スシ・エアー239便:2013/11/4【2013/10インドネシア】

投稿日:2019年8月14日

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チラチャップからジャカルタへの帰りはスシ・エアーを利用する。12時50分発のスシ・エアー239便をスシ・エアーの公式WEBで予約していた。Rp909,200であった。

11時20分にホテルをチェックアウトをする。チェックアウトをしていると、男性が来て、「空港まで?」と聞いてくる。運転手らしい。少し待ってとお願いし、ホテルのパソコンを借りて航空券を印刷する。その後、車で空港へ向かう。昨晩ホテルのフロントで予約したときにはタクシーと言われたが、実際にはホテルの名前の入った送迎車であった。

送迎車の乗客は私一人だけであった。空港まで25分ほどかかる。途中で、プルタミナのガソリンスタンドに入り、ガソリンを入れる。時折、客を満載した古い中型のバスとすれ違う。鉄道網が貧弱なので、地元民が別の街に移動するときは、このようなバスに乗るのだろう。

空港までの料金はRp50,000であった。空港の入場料としてRp5,000がさらに加算される。ホテルのフロントで言われたとおりである。チップ込みでRp60,000を払う。タクシーはそのままホテルに戻るのかと思いきや、駐車スペースに入る。ひょっとしたら、ジャカルタから飛行機で来る客がいるのかもしれない。

 

チラチャップのトゥングル・ウルン(Tunggul Wulung)空港は、のどかな空港であった。ただ、外観からは空港とは思えない。むしろ学校のようである。

"Departure"と書かれた部屋に入るも、誰もいない。

警備員が出てきて、"Arrival"の部屋で待っていろと言う。ベンチがある。荷物引取の台の上で、空港職員がチェスをやっている。床を猫が歩いている。のんびりとした雰囲気である。

"Restaurant"と書かれた場所は、街の安食堂といった感じで、席数も少ない。空港職員が2,3名歓談しているだけであった。ポカリスエットを購入する。警備員に、プルタミナに勤めているのかと聞かれる。ただの旅行者だと答える。

 

2013/11/4:スシ・エアー239便(SI239):チラチャップ→ジャカルタ(ハリム・ペルダナクスマ):C208B(PK-BVB)

12時50分発のジャカルタ行きは、12時10分にチェックインが開始された。この空港に現在乗り入れている定期路線はスシ・エアー(Susi Air)だけであり、路線もジャカルタ行きのみである。

荷物をX線に通し、チェックインをする。手書きの搭乗券を発券してくれる。預荷物の重さを量る。8.6kg。その後、機内持込みの荷物と一緒に体重計に乗るようにいわれ、体重を測る。54kg。係員がそれをメモする。

搭乗券が渡され、隣のカウンターで空港使用料を払うよう言われる。空港使用料はRp10,000であった。細かい紙幣がなかったのでRp50,000出すと、細かいお釣りがなかったようで、Rp10,000札3枚と、Rp2,000札5枚でお釣りをもらう。Rp2,000札5枚は、ホチキスで留められていた。このような形でお金をホチキスで留めることは、この国では一般的のようであり、以前もそのようなことがあった。

空港使用料の証明書。

搭乗券。

X線検査を受けて待合室に入る。

 

スシ・エアー(Susi Air)239便、ジャカルタ・ハリム・ペルダナクスマ(Jakarta Halim Perdanakusuma)空港行きは、12時50分、搭乗開始となった。搭乗券の半券を切ってもらい、駐機場へ歩く。

駐機場には、セスナC208Bグランドキャラバン機が待っていた。いわゆるセスナ機である。Wikipediaの記載によると、スシエアーは、アジア太平洋地域で最大のグランドキャラバン機ユーザーとのこと。32機を保有しており、同社のフラッグシップである。

頭をぶつけぬよう、身をかがめて機内に入る。客席は12席である。搭乗券では席の指定はされていないが、係の人が、「あなたはそこ」と言う。人が多いときはバランスを考えてもっと厳密に配置するのだろうが、この人数だからか、そこまで厳密にやっているようには見えなかった。1+2の座席配置で、言われたとおり2列側の窓側に座った。

操縦士は2名、どちらもインドネシア人ではない。オーストラリアかヨーロッパかアメリカかは分からぬが、そちらの顔つきであった。wiki情報によれば、この航空会社のパイロットのほとんどは外国人パイロットとのことである。

客は私を含めて3名である。満席で12名であるから、搭乗率は25%である。よく路線を維持できているなと思う。他の便はもっと客が乗っているのだろうか。

12時55分、プロペラが回り出し、出発となった。乗務員によるエマージェンシーデモはない。シートポケットに古びた安全のしおりが入っているのみである。高くは飛ばないので、酸素マスクはない。ライフジャケットとエチケット袋は、シートポケットに入っている。

機長がインドネシア語で機内アナウンスをする。見ている限り、この便の操縦は副操縦士の担当のようである。

他に動いている飛行機はおらず、ノンストップで滑走路に進入し、滑走路の端で方向転換をして、そのまま離陸した。ジェット機とは違い、ゆっくりとした上昇である。すぐに旋回して、進路をジャカルタに向ける。右側の窓からは離陸したばかりのチラチャップ空港が、左側の窓からはプルタミナの石油タンク群が見える。上から見ると、石油タンクの多さは一目瞭然である。

巡航高度まで達すると、操縦席も落ち着くのか、機長はリンゴを食べ始める。そして、副操縦士とスマホで写真を見せ合ったりと、のんびりしたムードが漂う。

巡航中は気流に起因する揺れはほとんどないが、小さな飛行機だからか、終始小刻みな振動はある。

ジャカルタに近づくと、いつの間にか機体は降下を始めていた。下に向かっているという感覚はないが、地上が近づいているので、ゆっくりと降下していたのだろう。ジャカルタ周辺は気流が悪いのか、降下中は上下に大きく揺れた。

ハリム空港が見え、滑走路が見える。滑走路と平行に飛行し、大きく旋回して滑走路に正対させ、着陸する。タイヤが滑走路にあたり、キュッと音を立てる。操縦士がブレーキをかけ、スピードが落ちる。滑走路から離れ、すぐにスポットイン。13時55分にハリム空港に到着した。

地上係員がドアを開ける。飛行機から降りる。

ハリム・ペルダナクスマ空港は、1985年にスカルノハッタ空港が開業するまでは、ジャカルタの玄関口であった。もっとも、今では、定期航空便はスシ・エアーのような小規模の航空会社のごく僅かな国内線だけである。一方、市内に近いからか空いているからかは分からないが、政府専用機などの要人向けのフライトやハッジフライトでは、この空港が使われることも多いらしい。

空港名でもあるハリム・ペルダナクスマは、第二次世界大戦期の有名なパイロットであり、インドネシアの国家英雄の1人でもあるとのこと。

エプロンを歩いていると、デザインのいけてる飛行機がある。後で調べてみると、イタリアのピアッジョ・エアロ社のアヴァンティ(Piaggio P.180 Avanti)という飛行機であった。イタリアというとデザインに定評があるが、さもありなんという感じの飛行機であった。スシ・エアーではVIP機として使用しているようである。

Pelita AirのATR72型機。

Pelita Airのフォッカー100型機。

エプロンを歩いて、意外と立派な空港ビルに入る。

荷物受取所に行くと、普通の空港にあるのと同じ大きさのターンテーブルがあり、まもなく回り始める。といっても、乗客は3名であり、荷物も3つだけであった。すぐに止まる。自分の荷物を引き取る。

荷物タグ。

航空便が少ないから、小さなターミナルで人も少なく閑散としているのではないかと思っていたが、意外にも、空港の外には人が多く、ファーストフードの店もあった。

 

ブルーバードタクシーのカウンターがあったので、そこでタクシーをお願いする。ブルーバードのシャツに身を包んだ係員に連れて行かれたのは、ブルーバードではなく、それより高級なシルバーバードタクシーであった。ブルーバードタクシーが出払っているようである。

運転手にチャワン駅までと告げる。電車でどこに行くのかと聞かれる。何も考えずにマンガブサールと言うと、なぜこのタクシーで行かないのかと聞かれる。当然の質問である。運転手としても、上客を逃がしたくなかったのだろう、「鉄道は混んでいるし、待ち時間もあるし、治安もよくないし、荷物もあるんだから、やめた方が良いよ」などと営業トークをされる。この時間の列車は混んでなさそうだし、荷物は軽いし、治安の悪さを感じたこともない。「駅で良い」と言い張ることもできたのだが、腹も減っているし、人の良さそうな運転手だったので、マンガブサールまで行ってもらうことにした。

この運転手、英語が堪能で、ずっと話していた。ブカシ在住で、かつてはダイハツの関連企業に勤めていたとのこと。なかなかの日本びいきであった。

インドネシアに何しに来たのだと聞くので、旅行だと答える。チラチャップまで、行きは列車で、帰りは飛行機で往復してきたと言うと、運転手氏、あんな小さい飛行機は怖いよと言う。

タクシーは、チャワンから高速道路に入る。しばらくは順調に走るも、渋滞に巻き込まれる。数日前、空港からタナアバンまでバスで3時間かかったというと、笑っていた。よくあることらしい。ここの渋滞は、それに比べればさほどたいしたことはない。高速を降りるところまで渋滞が続いたが、そこからは順調に走る。トランスジャカルタの1号線(Koridor 1)の通りである。

MRTの建設箇所がある。日本企業が建設しているという。

運転手が、日本の車両が来たと言って、新聞の一面を見せてくれる。埼京線で使われていた205系の写真がカラーで載っている。タンジュンプリオクに昨晩到着したらしい。運転手は、「MRTの車両が来た」と言っていたが、これはMRTではなくて国鉄の間違えであろう。

タンジュンプリオクについて聞いてみる。日本のガイドブックでは見かけない地名だし、危険という話を聞いているが、駅がある。運転手曰く、駅は"dangerous"とのこと。もっとも、どういう意味で危険なのかは、お互いの語学力の問題もあり、分からなかった。ただ、地元民が危険というのであれば、危険なのだろう。また、危険繋がりで言えば、タクシーも、ブルーバード、シルバーバード、エクスプレスは安全だが、それ以外は乗っちゃいけないと念を押された。

運転手は、「ここが日本大使館」「ここがインドネシア銀行、お金を発行しているところ」などと観光ガイドをしてくれる。思えば、今までジャカルタの街中をまともに案内してもらったことがない。この通りはトランスジャカルタで通ったことがあるものの、沿線に何があるのかは知らなかった。

ロカサリの前に15時頃に到着した。料金はRp170,000であった。やはり高かったが、快適に移動できた。

 

【2013/10インドネシア】(目次

28,チラチャップ(4):海岸沿い:2013/11/4【2013/10インドネシア】

29,チラチャップからジャカルタ(ハリム)へ:スシ・エアー239便:2013/11/4【2013/10インドネシア】【←本記事】

30,ジャカルタ:ホテルプリンセンパーク(Hotel Prinsen Park):Standard Plus:2013/11/4【2013/10インドネシア】

 

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