インドネシアの街めぐり 街めぐり 記録 2011/9インドネシア

33,バンドン:2011/9/19【2011/9インドネシア】

投稿日:2019年7月15日

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2011年9月19日月曜日。この日は1日バンドンで過ごす。

8時頃に起きて、朝飯とする。もう腹具合はよい。その後、ロビーにパソコンを持ち込み、インターネットを使う。ロビーとレストランでWifiを使用できた。パスワードはフロントでもらう。

10時少し前にホテルを出る。まず、アジア・アフリカ会議博物館(Museum Konperensi Asia Africa)に行くことにする。

道中。

跨線橋を渡る。

道中。

市場がある。Tシャツやら財布などの日用品から、様々な食料品まで売られている。ここに来れば何でも買えるといった感じである。東南アジアの市場は、このようなものが多い。見ていて楽しい。

バンドン市内では、歴史のありそうな建物をしばしば見かけた。

アジア・アフリカ通り(Jl. Asia Africa)を少し歩くと、目当てのアジア・アフリカ会議博物館に到着する。寄り道しながら歩いたので30分近くかかったが、普通に歩けばホテルから10分程度だろうか。

アジア・アフリカ会議とは、1955年4月18日から24日にバンドンで開催されたアジア、アフリカ諸国の政府レベルの会議である。開催地バンドンの名をとって、「バンドン会議」と呼ばれることもある。本会議では、反植民地主義、反帝国主義、平和共存などを訴える平和10原則が採択された。参加国を見ると、アフリカの参加国は少なく、それもリベリアと英領ゴールドコースト(現ガーナ)を除くとアフリカ北東部に固まっている。一方で、アジアは、中華民国や朝鮮、マレー半島(現マレーシア・シンガポール)を除くほとんどの国が参加している。アフリカ諸国がヨーロッパ宗主国から独立するのは1960年以降であった。

入口で荷物を預け、中に入る。入場料は無料である。ここでガイドがつく。あまり人がいないようで、1人に対して1人のガイドがつく。若い、小柄でかわいい感じの女性であった。年齢はたぶん私と同じくらいだろう。

まずはバンドンやインドネシアのバティックの展示を見学する。西ジャワと中央ジャワのバティックの違いなどについて教えてもらう。色の使い方、鮮やかさが違うとのことで、たしか西ジャワのものがカラフル、中央ジャワのものが地味な感じであった。東南アジアのバティックが集まったコーナーもあり、そちらもさらっと見る。

その後、メインのアジアアフリカ会議についての展示へと移るが、その前にまず小さなシアターで短い映画を見る。内容は、アジア・アフリカ会議に至るまでの経緯及び会議の内容についてであった。

シアターを出ると、横の大きな部屋に招き入れられる。この部屋が、アジア・アフリカ会議の会場であった。基本的に「当時のまま」らしい。写真では見たことがあるが、やはりその場に立ってみると、また違う気分である。今となってみればアジア・アフリカ会議の評価は様々であろうが、この部屋で、当時としては未曾有の宣言が行われたのである。

その後は、資料室の展示を見て回る。種々の物が展示されており、実際に見てからもうだいぶ時間が経っているのでいい加減忘れかけているが、当時の報道に使われた機材、アジア・アフリカ会議を伝える各国の新聞が特に印象に残っている。スカルノ大統領の演説の録音も聞くことができた。もっとも、氏が何を話しているのかは理解できなかったが。

1時間弱ですべてを見終えて、博物館を出る。

アジア・アフリカ博物館の斜め向かいの位置に、サヴォイホテル(Savoy Homann Hotel)がある。ここは、アジア・アフリカ会議の際に各国首脳が宿泊したホテルである。会議の日、ここから会議場まで各国の首脳が歩いて向かったという。『地球の歩き方』によると、日本円にして6000円程度から泊まることができるようである。

 

この日は特に用がないので、この後はしばらくぶらぶらと歩くことにする。

"Masjid Raya Bandung"と呼ばれるモスクがある。大きいモスクで、モスクの前は広場になっている。広場では子ども連れなどが多く、また、お茶を売る人もいた。

バティックの洋服を売る店が何件かある。ちらちらと値札を見ていると、値段にはかなり上下があるものの、気軽に買えそうな値段のものもある。せっかくだから購入しようかなとも思うが、洗濯とか面倒くさそうだし、日本で着ると浮きそうなので、買わないことにした。

露天でCDを売っているところがいくつかある。インドネシアのポップスがないかなと見ていると、店員のおじさんが「何がいいんだ」という感じで声をかけてくれる。お互いに言葉が通じず、私も「これがほしい」というものはないので、しどろもどろになっていると、そのおじさん、ニヤッと笑って「ポルノもあるぞ」と英語で言う。「持ってきてやる」といざ立ち上がったので、慌ててことわる。

引き続き町歩きをする。

 

お腹が空いてくる。体調が良くなったとはいえ前々日にジャカルタで腹をこわしているので、昼食はどこか衛生的な場所で食べようと思っていたのだが、屋台で、鶏肉やら野菜やらが入った春雨スープを食べた。食べていると、ご飯も出された。やはりというか、美味しかった。これだけ食べてRp10,000なので安い。

その後、暑くて疲れも出てきたので一旦ホテルに戻る。

 

【2011/9インドネシア】(目次

32,バンドン駅:2011/9/18【2011/9インドネシア】

33,バンドン:2011/9/19【2011/9インドネシア】【←本記事】

34,バンドンからパダラランへ:KRD PATAS 787列車:2011/9/19【2011/9インドネシア】

 

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