JR豊橋駅に隣接して、豊橋鉄道渥美線の新豊橋駅がある。渥美線は、この新豊橋を起点として三河田原までの18kmを結ぶ路線である。1924年に渥美電鉄が現在の渥美線の一部区間が開業し、1927年にほぼ現在の路線ができあがった。1940年に渥美電鉄と名古屋鉄道が合併し、名古屋鉄道渥美線となる。その後、1954年に名古屋鉄道が渥美線を豊橋鉄道へ譲渡して、現在の形となったという。
2020/1/11:豊橋鉄道渥美線:新豊橋→三河田原
新豊橋駅は3階建ての建物で、改札口は1階にある。ペデストリアンデッキ上にも入口があり、ここから入ると、中で階段を降りて改札口に向かうことになる。
新豊橋駅駅名標。
渥美線の列車は、朝から夜まで基本的に15分に1本の間隔で運行されている。
新豊橋駅は1面2線で、両方のホームに車両が停車していた。
後発の三河田原行き。渥美線の列車は、いずれも1800系3両編成で運行される。この車両は元東急7200系である。各編成には花の名前が愛称としてつけられているようで、この編成は「つつじ号」であった。
先頭車が中間車として使用されている編成もあった。
次の列車は、19時45分発の三河田原行きである。これに乗車する。こちらは「ひまわり号」である。
始発駅での停車中は真ん中のドアのみを開けていた。
車内(一部は三河田原到着後に撮影)。
「東急車輌 昭和43年 東京」とある。製造から50年以上経っている車両である。
つり革にも「ひまわり」の文字とイラストが入っている。
列車には車掌が乗務していた。渥美線ではワンマン運行は行われていないようである。
ほどよく席が埋まった状態で新豊橋を出発する。
新豊橋を出ると、わずかな区間でJR東海道本線と併走する。東海道本線と離れて、柳生橋に到着する。
柳生橋の次の小池で、新豊橋行きの列車と交換する。
高師に渥美線の車両基地と乗務区があるらしい。この駅で運転士と車掌が交代した。
その後、芦原、大清水、杉山、神戸で新豊橋行きの列車と交換した。列車は15分間隔での運行であるから、およそ7,8分に1回の割合ですれ違うことになる。
各駅でポツポツと降車客がいる。夜なので車窓はあまり分からぬが、沿線を通じて住宅は多く、商業施設も時々見える。それでも、三河田原に近づくにつれ、車窓が開けているところが多くなるように感じられた。田んぼが広がっているのかもしれぬ。
三上田原の一つ手前に神戸という駅がある。「こうべ」と読んでしまいそうになるが、「かんべ」である。
三河田原には20時20分に到着した。頭端式、2面4線の駅であり、堂々とした終着駅である。ここまで乗り通す客も少なからずいた。
三河田原駅改札口。
三河田原駅の駅舎は近年建て替えられた物のようで、1階は観光や市の情報を提供する田原市交流ひろば、2階は机と椅子が並んだスペースとなっていた。建物内には高校生くらいの若者も散見された。迎えの車を待っていたのかもしれない。
三河田原駅前。
渥美半島先端の伊良湖へ行くバスもここから出ている。
2020/1/11:豊橋鉄道渥美線:三河田原→新豊橋
帰りは、20時32分発の新豊橋行きに乗車した。先ほど三河田原まで乗ってきた列車が、そのまま新豊橋行きとなった。
三河田原を出発したときには、車内には2人しか乗車していなかった。
豊島で自転車を持った2人組が乗車してきた。渥美線では、平日は日中、土日祝日は終日、自転車の持ち込みが可能であるという。
途中駅でポツポツと乗降はあったが、車内は空いていた。終点の新豊橋には21時07分に到着した。
隣のホームには、先発の三河田原行きが停車していた。こちらは「ばら号」であった。
2020/1/11:JR東海道本線:新快速:豊橋→蒲郡
この日の宿は蒲郡に取ったので、蒲郡に向かう。JRの改札内で、弁当の安売りが行われていた。半額で弁当を購入した。
21時17分発の新快速大垣行きに乗車する。
豊橋から蒲郡の間には4つの駅があるが、新快速はすべて通過する。蒲郡には21時29分に到着した。
【2020/1東海】(目次)
14,豊橋鉄道東田本線:2020/1/11【2020/1東海】
15,豊橋鉄道渥美線:2020/1/11【2020/1東海】【←本記事】
16,蒲郡:ABホテル蒲郡:シングルA:2020/1/11【2020/1東海】
【元東急7200系の乗車記録】
4,上田電鉄別所線:上田電鉄7200系:2007/5/14【2007/5甲信越】