ジャカルタ・コタ駅に戻る。道を渡るのは相変わらず苦労するが、地元の人の後ろにぴったりくっついて、車を手で制しながら、急ぎ足で渡る。駅前は、駅利用者のほか、物売りや客待ちのバイクで混沌としている。小さな男の子が、駅の壁に向かって立ちションをしている。
さて、セルポン(Serpong)というところに行ってみようと思う。タナ・アバンからセルポンへ向かう通勤路線は、まだ乗っていない。
2011/9/16:Commuter Line:Jakarta Kota→Manggarai
コタからセルポンに向かう直通列車は17時過ぎまでないので、マンガライとタナ・アバンで乗り継いでいくことにする。マンガライまでの乗車券を購入すると、デポック(Depok)までの乗車券が渡された。
コタを16時05分に出る"Commuter Line"のボゴール行きに乗る。元東急8500系であった。かなりの混雑である。4月に乗った時よりも、列車の混雑度が激しくなったような気がするのは気のせいだろうか。
マンガライ駅構内。この駅は跨線橋や地下道がないので、ホームから駅舎への移動は線路を渡っていくことになる。
マンガライ駅。
2011/9/16:Ekonomi:Manggarai→Tanah Abang
マンガライで降りて、いったん改札を出て、タナ・アバンまでの乗車券を購入する。ジャカルタの鉄道は、列車を変える毎に切符を買わないといけないらしいので、不便である。
改札でホームを聞き、ホームでも物売りに確認する。
"Commuter Line"の乗車券を購入していたが、次に来たのは"Ekonomi"の列車であった。車内を見ると空席が多いので、こちらに乗車する。"Ekonomi"の方が安いのだから、問題はないであろう。
相変わらず、ドアを開けたまま走っているし、物売りも多い。この時間帯は、家族連れも多く乗車しており、車内は平穏であった。
マンガライから2駅でタナ・アバンに到着する。
タナ・アバン駅は橋上駅舎であった。ここでもいったん改札を出て、セルポンまでの切符を購入する。タナ・アバンは、"Ekonomi"(3等車)主体の長距離列車の始発駅でもあるからか、構内の人通りが激しいような気がする。
タナ・アバン駅前。
駅構内。
2011/9/16:Commuter Line:Tanah Abang→Serpong
改めてセルポンまでの乗車券を購入し、ホームに戻り、セルポン行きの列車を待つ。ボゴール行きの列車は相次いで出発するが、セルポン行きはなかなか来ない。
隣のホームから出発する三等主体の長距離列車。
列車が来るたびに警備員にセルポンか尋ねていたら、セルポン行きの列車が来た時に警備員が列車に誘導してくれた。彼だけでなく、駅の警備員は、旅行客に親切な人が多いような気がする。
ホームは乗客で埋まっていた。
セルポン行きの列車は、元東京都交通局の6000系であった。都営三田線で走っていた車両である。タナ・アバンとセルポンとを往復する運用らしい。
この列車の混雑は激しい。東京の朝の通勤ラッシュと同程度の混雑である。今までスリの類にはあったことがないので割と楽観はしていたものの、財布とカメラをポケットから鞄に移し、鞄のチャックを閉じて前に抱える。なぜここまでして自分は列車に乗らなければならないのだろうかと、一瞬思ったりもする。
このような混雑の中でも、車掌が回ってきて、検札をする。一応駅に入る際に改札を通っているのだから、全員が切符をもっているはずである。ここで確認しているのは、"Ekonomi"の乗車券チケットを持って"Commuter Line"に乗車していないかということなのだろう。
列車は各駅に停車して、そのたびに乗降がある。
走行中に一度、車内に「ゴツッ」という大きな音が響く。一瞬、皆が音の方向へ目を向けるが、その後また元の状態になる。投石である。なぜ列車に向かって石が投げられるのかは分からないが、インドネシアでは投石が多いと言われる。客の反応も、「よくあること」といった感じなのである。幸い、窓にひびが入ったりすることはなかった。
どこかの駅にて。両側のドアが開き、ホームのない方のドアからも多くの客が降りていく。
やっと車内が空いてきたのは、セルポンまであと数駅のところであった。
終点のセルポンには18時過ぎに到着した。セルポンも橋上駅舎であった。
【2011/9インドネシア】(目次)
23,ジャカルタ:ファタヒラ広場(Taman Fatahilah):2011/9/16【2011/9インドネシア】
24,ジャカルタの通勤列車(3):ジャカルタからセルポンへ:2011/9/16【2011/9インドネシア】【←本記事】
25,ジャカルタの通勤列車(4):セルポンからジャカルタへ:2011/9/16【2011/9インドネシア】