鉄道 インドネシアの鉄道 スマトラ島の鉄道 駅弁・車内販売ほか 記録 2014/12インドネシア

14,ルブックリンガウからパレンバンへ:スレロ(Serelo)(1):2014/12/24【2014/12インドネシア】

投稿日:2019年8月27日

【スポンサーリンク】



2014年12月24日水曜日。この日は、ルブックリンガウからパレンバンまで鉄道で戻る。

8時、フロントでチェックアウトをする。昨晩の警備員を呼んでもらうが、どうやら彼はまだ来ていないらしい。フロントスタッフが、寝坊をしたようだと言う。結局、そのフロントのお兄さんがバイクを出してくれることとなった。ヘルメットを渡される。スーツケースは、運転するお兄さんの足下に置く。10分少々で駅に到着する。駅の周りは、ホテル付近と比べていくぶん活気があった。運転手はチップを受け取ってくれず、駅前の駐車場の使用料としてRp2,000を受け取ってくれただけであった。

駅前の一角ではドリアン屋が並んでいる。食べてみたいと思うが、朝から食べるものでもない。にわとりを売る店も並んでいる。食用だろうか。

 

2014/12/24:Serelo:Lubuk Linggau → Kertapati

8時半、まだ出発まで1時間ほどあるのに、既に改札口は開いている。パレンバン行きのスレロ(Serelo)号は停車しており、既に乗っている客も多い。改札を通る。

乗車券。

ホームから見た駅舎。

先頭にディーゼル機関車、そしてジャワでも見られるエコノミー用客車7両が連なっている。全席エアコン付きエコノミーの編成である。ディーゼル機関車は赤を基調とした塗装である。

突如、このような車両が走ってきた。

車内。

車両に設置されているエアコン。

自席は1号車の1番席であった。優先席という位置づけの席らしいが、指定券を見る限り、この席である。

各座席にはコンセントがある。

 

スレロ号パレンバン行きは、定刻9時30分にルブックリンガウ駅を出発した。

すぐに踏切を渡る。この付近がルブックリンガウの賑わっている辺りなのだろうか。ただ、街らしさを感じたのはそこまでであり、その後は少し住宅街があり、そして山道になる。

車内は比較的空いていて、各ボックスに2,3人程度ずつ座っている。向かいの女性が話しかけてくる。私よりも少し年上だろうか。英語を解した。大学時代はジョグジャカルタで過ごし、現在はルブックリンガウで公務員をしている、沿線のムアラエニム(Muara Enim)に実家があり、帰省の途中なのだという。1日1本しかない鉄道よりもバスの方が便利なのではと聞くと、鉄道の方が快適らしい。バスが走るのはカーブの連続する山道であり、運転が荒く、混んでいるから、バスよりも列車の方が良いとのことであった。また、バスと列車とで殆ど料金は変わらないらしい。

日本は新幹線があるんでしょと聞かれたので、早いけれど高い、長距離バスは比較的安くてシートも快適だから、時間があればバスを使うと答える。日本は主要都市間であれば基本的に高速道路が通っていると言うと、驚かれる。

窓のカーテンをめくって景色を見ていると、投石があるから注意してと言われる。ジャワとは違うのよといった感じである。観光客向けの予防的な発言なのだろうか、それともインドネシアの人にとってもスマトラはジャワより危険といった認識があるのだろうか、よく分からない。そういえば、昨日お世話になった警察官も同じようなことを言っていた。

ちなみに、"Ekonomi"の列車のカーテン、ジャワの車両にはなかったように思う。投石の際の破片散乱を防ぐものなのか、単なる日除けなのか、あるいは両方の意味があるのかは、分からない。

列車は順調に走る。沿線から見える椰子にもいくつかの種類があること、ビサンゴレン(バナナの唐揚げ)にするバナナの木など、見える木々について教えてくれる。

指さし会話帳を見つつ、英語と単語程度のインドネシア語を混ぜながら、インドネシアと日本の違いやインドネシアの好きなところについて話す。

物売りは乗ってこなかったが、バンドが1回、物乞いが1回乗ってきた。このような田舎町まで来ると、いささか規制も緩いのだろうか。しかし、それぞれ1回ずつしか見なかったというのは、それ相応に規制されているということなのかも知れない。向かいのお姉さんは物乞いにお金を渡していた。

10時、Kota Padangを通過する。

車窓から。

11時40分、Sukarajaを通過する。

車窓から。

このようなアンテナは多くの家でみられた。

車窓から。

風景を見たりお喋りしたりしていたので、意外と時間が過ぎるのが早い。12時過ぎに、係員が昼食の注文を取りに来る。ナシゴレンを頼む。向かいの女性も、ナシゴレンとコーヒーを頼む。

12時半に弁当が届けられる。財布を出そうとすると、向かいの女性が「まとめてやるよ」と言ってくれる。さすがに申し訳ないと言って出そうとする、気にしないでと言われる。たしかに、立場が逆だったら、私自身も同じようなことをするかも知れないなと思う。

ナシゴレンは辛かった。今までも何回か車内でナシゴレンを食べたが、列車で食べるナシゴレンは辛めの味付けが基本のような感じがする。

12時50分、ラハト(Lahat)に到着した。そこそこ順調に走っていたように感じたが、この時点で1時間遅れである。

ラハトは沿線で一番大きな街だという。駅にも駅前にも人が多い。背は低いがビルもいくつか見える。この駅で15分程停車する。駅構内に物売りがいないのは近年のジャワと同じだが、柵越しで声をはり上げている。そこに客が集まっている。

 

ラハトを13時05分に出発した。近くに工場か車両基地があるらしい。

ラハト周辺ではビルも見えた。

13時20分、Sukacinta駅を通過する。

石炭の山だろうか。

進行方向右手に、奇妙な形の山が見える。"jempol"と呼ばれているらしい。親指を表すインドネシア語である、言われてみれば、たしかに親指に見えなくもない。

車窓から。

14時、ムアラエニム(Muara Enim)で向かいの女性が降りていった。メールアドレスを交換した。

 

【2014/12インドネシア】(目次

13,ルブックリンガウの夜:2014/12/23【2014/12インドネシア】

14,ルブックリンガウからパレンバンへ:スレロ(Serelo)(1):2014/12/24【2014/12インドネシア】【←本記事】

15,ルブックリンガウからパレンバンへ:スレロ(Serelo)(2):2014/12/24【2014/12インドネシア】

 

【スポンサーリンク】



-鉄道, インドネシアの鉄道, スマトラ島の鉄道, 駅弁・車内販売ほか, 記録, 2014/12インドネシア

Copyright© ピーナッツの旅行記録 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.