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25,シアトル:アンダーグラウンドツアー:2011/8/16【2011/8アメリカ合衆国】

投稿日:2019年7月14日

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ボーイング工場の見学を終え、バスはシアトルのシェラトンホテルに12時35分に到着した。

この後は予定がないので、とりあえず1日目に参加できなかったアンダーグラウンドツアー(Underground Tour)に参加することにする。

2011/8/16:Westlake→Pioneer Square

ウエストレイクのトンネル駅からバスでパイオニアスクエアへ移動する。駅前には浮浪者もいるが、少し歩くと観光客でにぎわっている一角がある。古くからの建物が並ぶ一角で、観光地化されている。

アンダーグラウンドツアー(Underground Tour)の受付場所へ行く。13時からのツアーは満席とのことなので、14時発のツアーに案内される。学生かと聞かれたので、国際学生証(ISIC)を見せると、学割が適用されて$13であった。腕に巻く紙と、食堂の割引券、日本語で書かれた説明の紙も渡される。

腕に巻く紙。

食堂の割引券だが、ホットドックの割引であった。ただ、あまり食欲がなかったし、アメリカのソーセージは期待できないので使わなかった。

とはいえ、昼飯は食べておきたいので、バナナのマフィンを1個買った。これは大きくて食べ応えがあり、さらに意外にも甘さ控えめで美味しかった。

14時まで、外のベンチでぼんやりとして過ごす。気持ちよい日であった。

10分ほど前になると、多くの長椅子がある部屋に通される。まず、ここで20分程度、ツアーの説明を受ける。早口の英語なので結構きつい。ユーモアを織り交ぜているのは分かるが、それを理解することができないので笑うことができない。

受付でもらった日本語の説明と照らし合わせつつ話を聞くが、説明の内容は以下のようなことであった。シアトルの街は1889年の大火災の後、従来からあった下水設備等の問題を解決するために、道路を建物1階分ほど高い部分に作ったという。当初は、従来の1階部分と新しい1階部分の両方が使われていたらしいが、後に、従来の1階部分は忘れ去られることになった。このツアーは、その忘れ去られた1階部分を歩くことができるというものである。

その後、3つのグループに分かれて、それぞれにガイドがつき、ツアー形式でアンダーグラウンドに降りていくこととなる。

ガイド氏の説明も早口で、かつ非常に長い。現地の人は、所々で笑いながら聞いているので、ユーモア入りのおもしろい説明なのだろうが、英語に慣れていない私にはきつい。ただ、日本語のガイドにも書いてあるようなことも言ってくれるので、まったく分からないわけではない。「ここは昔、○○だったところです」などという話から、アンダーグラウンドの歴史、そしてシアトルの歴史、特にシアトル初期の人々の話などを、非常に詳しく説明してくれていることは分かる。汚職がはびこっていた初期のシアトルの話、興味深いものであった。

地上にあがったり、地下に入ったりを3度ほど繰り返す。

うち1カ所では、よく宣伝写真に使われるトイレも見ることができる。1881年以降、シアトルでは水洗トイレが普及したのだが、下水システムの整備が追いつかなかったため、湾の満潮時には汚物が逆流したという。とんでもないトイレである。当時の人は、満潮、干潮などの時間を考慮した上でトイレを使っていたらしい。

前半は説明が長かったツアーだが、後半はさくさくと進み、15時30分頃、ミュージアムショップでツアーが終了する。昔のシアトルの様子を想像することができ、なかなか楽しいツアーではあったが、語学の壁を感じることになった。

 

【2011/8アメリカ合衆国】(目次

24,エバレット:ボーイング工場(Future of Flight):2011/8/16【2011/8アメリカ合衆国】

25,シアトル:アンダーグラウンドツアー:2011/8/16【2011/8アメリカ合衆国】【←本記事】

26,シアトルからタコマへ:サウンダー(Sounder Train):2011/8/16【2011/8アメリカ合衆国】

 

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