2005/10/8:JR東北本線:普通:仙北町→一ノ関
2005年10月8日土曜日。
本日は仙北町駅から列車に乗車する。仙北町駅は、盛岡から東北本線で花巻方面へ行く列車に乗って次の駅である。仙北町駅が開業したのは、盛岡駅の開業後25年後、1915年のことである。この駅の設置にあたっては、地元住民の請願と、それに対する時の鉄道院総裁であった原敬の尽力があったといわれている。原敬の生家は、仙北町駅の近くである。
6時03分発の一ノ関行き列車を待っていると、12系客車6両を連ねたディーゼル機関車が警笛とともに駆け抜けてゆく。この日から3日間、一ノ関と盛岡の間で「SL奥州義経号」の運転がなされることとなっていた。その客車の回送である。
盛岡駅を6時に出発した東北新幹線やまびこ41号東京行きが高架を東京方面へ消えていった直後に、6時03分発の東北本線普通一ノ関行きが入線してきた。4両での運行で、前寄りの2両は、ちょうどこの頃にNHKで放映されていた大河ドラマ「義経」にあやかった塗装が施されていた。
車内は、朝帰りと思われる人と部活動の遠征と思われる高校生とで混雑していた。花巻からは立ち客が出た。北上では結構の客が降りたが、それと同じくらいの客が乗ってきた。混雑は水沢まで続いた。
一ノ関には7時36分に到着した。
一ノ関駅構内では、「SL奥州義経号」の出発準備が進められていた。ホーム上には人だかりもできている。改札付近でも、「SL奥州義経号」運転に際して行われる式典の確認作業が行われていた。
一ノ関駅の屋根には「「平泉の文化遺産」を世界遺産登録へ」と書かれた看板が出されていた。平泉の世界遺産登録は一筋縄ではいかなかったのであるが、2011年に、「平泉 ―仏国土を表す考古学的遺跡群―」という登録名で世界遺産に登録されることとなった。
【2005/10東北】(目次)
2,盛岡から一ノ関へ:JR東北本線:2005/10/8【2005/10東北】【←本記事】
3,一ノ関から小牛田へ:JR東北本線:2005/10/8【2005/10東北】